木津川マラソン                                                        【戻る】

(コース)

   木津川沿いのコースですので、眺めは良く自然と親しめるコースです。ただ、川沿いですので日によっては
 風が強いときもあるので注意。比較的平坦なコースで、走りやすいです。

(感想) 


2020年2月2日 (ハーフ2:08)
 この日は冬にも拘わらず、とても暖か。晴。一番下に綿の半袖Tシャツ。そのうえにランニング用長袖。その上にポリエステルのランニングシャツを着た。
 ゴールの1.5km手前でアスファルトの切れ目でけつまずき、左膝をケガした。足をひきずりながらゴール。帰って医者にかかる。
京田辺駅入口
最寄りの駅:京田辺駅。会場まで約25分かかる。
 グランド入口 朝、続々と選手が受付へ
高石ともや
 高石ともやが激励に!
 

2018年2月4日
     (ハーフ2:11)
  こ の冬は記録的な寒波で、当日も非常に寒かった。3℃?。曇り。寒いので、一番下に綿の長袖、そのうえにポリエステルのベスト、その上にポリエステル100%の長袖を着た。木津川河川敷は風が強くそれで丁度よかった。この厳し気象条件にも拘わらず、まずまずの成績で満足。 写真はスタート前と帰路の駅前で豚汁を振る舞われた。
2018.2.4スタート前豚汁
 2017年2月5日
     (ハーフ2:05)
 こ の日は朝から本降りとなった。5℃。寒いので、一番下にナイキの長袖、そのうえにguの薄いヤッケ、その上にポリエステル100%の半袖を着た。一番上に は半透明のレインコート。5kmあたりまではそれでよかった。それからは少し暑かった。半袖はないほうがよかった。手袋は水をはじくもの。
 結果は悪コンディションにも拘らず、まずまず満足。
  2011年2月6日
     (5:05)
  昨年の3月に退職して公舎住まいを終え、家から新しい職場まで通勤するようになった。朝のプライベート時間が少なくなり、走る距離がめっきりと少なくなった。毎朝、走る距離は7−10kmから2−3Kmとなった。10Km以上走ったのは稀である。また、数週間前から左の膝が痛くなって、最近はさらに1−2Km/日しか走っていない。
 この日は比較的暖かかったが、結果は5時間以上。 
還暦のせいにしたくない。これからは、土日に10Km以上走るようにしたい。

 
kizu1 kizu2
  2009年2月1日
     (4:33)
 2008年23

     (5:04)
 マラソンは最悪のコンディションであった。朝、家を出る時は雪が激しく降り、道も3cm位 雪が積もっていた。ランニングコースも雪で走れないのではないかと不安であったが、とりあえず会場に向かった。マイカーは危険なので電車で行く。新田辺駅 ではそれでも多くのランナーが降りたった。道は雪がほとんど溶けていたのでほっとした。男子更衣室は急遽、建物の中に設営された。下はタイツをはき、上は 黄色の薄いヤッケを着たが、最後までみぞれのような雨がしとしと降り、体温が奪われ、21kmほどのところで足がつった。リタイアしようかと思ったが、何とかだましだまし歩いては走り、歩いては走りをしてようやく完走した。木津川河川敷は冷たい風が吹く。
   教訓:寒さ対策が必要。
     タイツは厚手のもの。
      ヤッケも厚手のもの。外側は、使い捨ての透明なレインコート。
      ランナー用の帽子を着用。
   タイムは非常に悪かった。はじめて5時間をオーバーした。約5時間05分。
反省:
今回は、一度も練習で20Kmを越える距離を走らなった。(プライベートとしては、母親の介護など精神的に走る余裕がなかった。)来年は、もう少し、心に余裕を持って、練習をしよう。
 
しかし、タイムは非常に悪かったが、心は充実している。誰のためではなく、自分自身のために走ったから。しかも、あの悪コンディションの中、何度も棄権しようかと思いながら完走した。自分をほめってやってもいいのではないか。
 2007年24

     (4:08)
 マラソンで若干、タイムが良くなったのは、@3日前から炭水化物の食事を多く取ったこと、A当日、最初は我慢して抑えたこと、と手頃なペースメーカとおぼしき人を見つけたことではないか。 今回は約38Kmのところから左腿の筋肉が痛くなった。
 200526

    
(4:10)
 マラソンでも25Km付近から右足の膝外側の筋を痛めたが、なんとか最後まで完走した。下肢の筋肉トレーニングの必要性を感じた。当日は非常に寒くタイツと薄いTシャツでは寒かった。今年から河川敷が集合場所となり、スタートとゴールも同じ所となった。駐車場から歩いて15分はかかった。
 20032月2日

    
(4:21)
 マラソンでは20km過ぎに河川から土手の上に行くユーターンで右足の膝外側の筋を痛め、リタイアしようかと思ったが、だましだまし残りの22kmを走った。タイムは悪かったが、完走証のはがきは嬉しかった。

  20022月3日
     (4:05)

 20012月4日

    
(4:10)
 今回からは完走証は送付されず、代わりに名前と順位が書かれた京都新聞が送られてきました。ちょっぴり寂しい気分。
 1999年2月7日  スタートの場所が中学校内で少し狭い感じがしました。それに、トイレの数が少なく順番待ちの列がすごい。着替えの体育館は非常に狭い。最初は車で行きましたが、パーキングと会場までの距離が相当あり、次回からは近鉄電車で行きました。20002月も申し込んでいましたが、仕事の都合で行けませんでした。(ただし、仕事がなかったとしても、その日は朝からずっと冷たい雨でしたので、参加者は少なかったのではないかと思います。)